• とけいじ千絵

今日の夜、誰とどこで食事をしますか


たまにはつまらん回顧話(長文)も書いていいよね、雨ですし☔️ びっくりするほど画像の荒い古い写真なのですが、2年半前のもの。 これ、嚥下障害のある人向けのいわゆる介護食。形をぎりぎり保っていますが、すべてペーストで、舌で簡単に崩せるかたさです。 これは、私の母が末期に口にしていた、「食べもの」。 腫瘍が食道を圧迫し、腸閉塞にもなり、固形物が食べられなくなったのは、亡くなる1ヶ月半前のこと。 あんなに食べることが好きだった母が... 外食が大好きで、美味しいものが大好きで、小さい頃から毎週末は家族で外食をしていた。 おそらく、私はこれまでの人生で、他の誰でもない「母と」、一番多く食事を共にした。 「もう金輪際、普通の食事は食べられない」とわかったのは、ちょうど1冊目の書籍のレシピ撮影をしていた時で、夜中、翌日の撮影のためにキッチンに立つと、毎日涙が止まらなくなっていた。 幼児期から、何度一緒に母とキッチンに立っただろう。 どの食材に触れても、母との思い出が蘇る。 それで、最終日に、つみれ汁を作ろうと思って、鯖をスプーンで綺麗にそいで、バーミックスをかけていた時、なんとなく閃いて。 あ、これ、片栗粉の分量を変えれば、もしかしら、ママでも食べられるんじゃないか! 口の中でほろほろ崩れる、つみれ汁を作れるんじゃないか。 次の日から私は狂ったように、流動食で、美味しいものを作ること、探すことに、やっきになった。 栄養になって、何より、美味しいと思えるもの。 でも、結果は散々だった。 自作では単なるポタージュばかりになるし、何より手間がかかる。ブレンダーは使いすぎてなんども熱くなり止まってしまう。 美味しいと感じる要素は、実は味以外の「食感」「香り」「見た目」などが大部分を占めていること、私は他の誰よりも知っている。 しまいには母は、「ラーメンを啜りたい」と小さく呟いて。もう、お手上げだった。 悔しくて、 叶えてあげたくて、 わんわん泣いたのを覚えてる。 市販の介護食は、なかなか厳しい。調べ尽くして一番よかったのがこの写真2枚目のもの。 父は冷凍庫を一台買って、大量にオーダーしたけれど、母は、ほんとの最初の一口で顔をしかめた。 介護食はそもそもの選択肢があまりないし、オーガニックのものもないし、味付けも濃く均一で、それまで食を生きがいにしてきた人からすると、とても食べられるような代物ではないのだろう。 でも、食べなくてはいけないという現実。 食べなくては自分の命をつないでいけないという現実。 じゃあどうすればいいのかと言うと、それはもう、食環境に心を配り尽くすしかないんだという結論に達した。 母が好きなとびきり美しい器を用意して、照明を変えて、家族みんなで介護食を食べた。これはおいしいね、これ食べてみて、ってイチャイチャしながら、一緒に食事ができて嬉しいなぁって、話をした。 そんな時は、母は渋々、完食してた。 それまで私は、「料理のおいしさが全て」だという価値観のもとに生きていた。が、しかし、おいしさだけが全てではないと。その時やっと気づいたんだ。 一緒に食べてくれる人、そして、食事をする環境そのものが、食を豊かにしてくれるんだ。 食事はアートじゃない。 生きることに不可欠な行為だ。 私たちは、生きる為に、飽きもせず、摂食と排泄をただ延々と繰り返す。 だから当然、綺麗事だけじゃ済まされない。 毎日毎日、何年間も、母が一口で顔をしかめた介護食を食べ続けている人は大勢いる。 しかもその日々には、いつ終わりが来るかわからない。 でも私は、食の喜びは、 食べ物の中に存在するだけではないことを知っている。 だからさ、今一度、抗おうではないか。 諦めないで、 食事の時間を楽しむことを放棄しないで、 一旦、心を落ち着かせて考えてみようぞ。 私たちをとりまく環境次第で、食は豊かなものになる。 この命題を、日々証明していけばよい。 毎日デスクで食べるコンビニ飯を、 かけがえのない時間にすることはできると思うんだ。 今日の夜、 どこで、誰と、食事をしますか。 


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